ヤルタ協定

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1945年 ヤルタ協定

1945年2月、アメリカ合衆国、イギリス、ソ連が、第二次世界大戦の戦後処理に関して取り決めた秘密協定。

その内容は

・ソ連はドイツの降伏後、3ヶ月以内に対日参戦すること
・樺太の南部がソ連に返還されること
・千島列島がソ連に引き渡されること

というもの。

日本はこのよううな協定があったことは、後に公表されるまで知りませんでした。

 

ロシアはヤルタ密約(ヤルタ協定のうちの極東密約)が北方4島を占拠する法的根拠だと主張する。

しかし、アメリカ上院では1951年のサンフランシスコ講和条約批准の際、「ヤルタ密約の項目は含まない」と決議。

1956年になってアメリカのアイゼンハワー大統領は「ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり、アメリカ政府の公式文書ではなく無効である」と発表。

昭和30年12月7日 重光国務大臣答弁

○重光国務大臣 ソ連との領土問題を交渉するためには、いろいろな材料を整備しなければなりません。そうして御承知の通りにソ連側はヤルタ協定等も議論に引用するわけでございます。それでありますからヤルタ協定というものはどういう性質のものであるかということは、米国側に十分問い合せをいたしました。その結果、日付はよく記憶をいたしませんけれども、先方の解釈も参っております。ついでながら、その解釈はどういうことであるのかという大要を申し上げます。ヤルタ協定はソ連との間に日本の領土について話し合いをしたけれども、それがはっきりと千島はどういう範囲の島々が千島だということじゃない。ただぼんやりと千島ということで話し合いをした。従って、その千島をどういう工合に解釈して交渉をするかということは、日ソ両国の間の問題であるというような大要の話でございました。これは大体話としてはわかる話でございます。その見地に立って、領土問題についてはわが方の信ずるところをもって交渉に臨んでおるわけでございます。

第23回国会 衆議院 予算委員会 第2号 昭和30年12月7日 | テキスト表示 | 国会会議録検索システム シンプル表示

 


ヤルタ協定 全文

ヤルタ協定 1945年2月11日の「ヤルタ」会議において署名

1946年2月11日米国国務省より発表

三大国、すなわちソヴィエト連邦、アメリカ合衆国及びグレート・ブリテンの指導者は、ソヴィエト連邦が、ドイツが降伏し、かつ、欧州における戦争が終了した後2箇月又は3箇月で、次のことを条件として、連合国に味方して日本国に対する戦争に参加すべきことを協定した。

1 外蒙古(蒙古人民共和国)の現状が維持されること。

2 1904年の日本国の背信的攻撃により侵害されたロシアの旧権利が次
のとおり回復されること。

(a) 樺太の南部及びこれに隣接するすべての諸島がソヴィエト連邦に返還
されること。

(b) 大連港が国際化され、同港におけるソヴィエト連邦の優先的利益が擁
護され、かつ、ソヴィエト社会主義共和国連邦の海軍基地としての旅順
口の租借権が回復されること。

(c) 東支鉄道及び大連への出口を提供する南満洲鉄道が中ソ合同会社の設
立により共同で運営されること。ただし、ソヴィエト連邦の優先的利益
が擁護されること及び中国が満洲における完全な主権を保持することが
了解される。

千島列島がソヴィエト連邦に引き渡されること。

 

前記の外蒙古並びに港及び鉄道に関する協定は、蒋介石大元帥の同意を必
要とするものとする。大統領は、この同意を得るため、スターリン大元帥の
勧告に基づき措置を執るものとする。

三大国の首脳はこれらのソヴィエト連邦の要求が日本国が敗北した後に確
実に満たされるべきことを合意した。

ソヴィエト連邦は、中国を日本国の覊絆から解放する目的をもって自国の
軍隊により中国を援助するため、ソヴィエト社会主義共和国連邦と中国との
間の友好同盟条約を中国政府と締結する用意があることを表明する。

 

1945年2月11日

J・スターリン
フランクリン・D・ルーズヴェルト
ウィンストン・S・チャーチル

 

〔備考〕 本協定は1946年2月まで秘密にされていた

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