- 第1回国会 衆議院 外務委員会 第12号 昭和22年10月6日
- 第1回国会 参議院 外務委員会 第3号 昭和22年10月8日
- 第7回国会 参議院 外務委員会 第1号 昭和24年12月17日
- 第7回国会 衆議院 外務委員会 第2号 昭和25年2月1日
- 第7回国会 衆議院 外務委員会 第7号 昭和25年3月8日
- 第8回国会 参議院 外務委員会 閉会後第1号 昭和25年9月4日
- 第9回国会 衆議院 外務委員会 第1号 昭和25年11月25日
- 第10回国会 衆議院 外務委員会 第2号 昭和26年1月31日
- 第10回国会 参議院 外務委員会 第2号 昭和26年2月5日
- 第10回国会 参議院 外務委員会 第5号 昭和26年2月15日
- 第10回国会 衆議院 水産委員会 第20号 昭和26年3月14日
- 第10回国会 衆議院 本会議 第29号 昭和26年3月31日
- 歯舞諸島返還懇請に関する決議(1951.3.31)
- 第11回国会 衆議院 本会議 第3号 昭和26年8月18日
- 1951年(昭和26年)9月8日 サンフランシスコ平和条約締結
- 第12回国会 衆議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第4号 昭和26年10月19日
- 第12回国会 衆議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第5号 昭和26年10月20日
- 第12回国会 衆議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第8号 昭和26年10月24日
- 第12回国会 衆議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第9号 昭和26年10月25日
- 第12回国会 参議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第3号 昭和26年10月25日
- 1951年11月18日 サンフランシスコ平和条約 批准
第1回国会 衆議院 外務委員会 第12号 昭和22年10月6日
○坂東幸太郎君
日本國北海道選出衆議院議員の名において、連合國軍總司令官マツカーサー元帥閣下に對し請願したのでありますが、ここに私より衆議院に請願の紹介をいたします。
現在ソ連軍の占領しております千島諸島のうち、擇捉島、國後島及び根室國の一部であります色丹諸島、その色丹諸島の名前は色丹、多樂、志發、水晶、エリ、アキユリの各島でありますが、これらは日本固有の附屬諸小島であるにかかわらず、現在ソ連軍の占領下にあつて、北海道本島と一切の交通を遮斷されておるために、地方の民衆が多大の困難を感じておる事情を申し述べてあるのであります。
その内容を申し上げますと、現在ソ連軍の占領下にあります北海道色丹諸島は、行政的にすでに徳川時代から北海道本島の根室の一部をなしておりました。地理學的についても千島列島には含まれません。しかしてこれに接續する千島列島のうち択捉島、國後島は一八五四年、すなわち安政元年、日本國ロシヤ國通商條約により明確に日本領土であります。
さらにこれを裏書する事實といたしましては、一八七五年、すなわち明治八年、樺太、千島交換條約があります。
この條約にも擇捉島以南の諸小島は交換の對象とはなつておらず、クリル群島十八島すなわちウルツプ島以北でありますが、この十八島をもつて樺太と交換することを規定してをおります。
すなわち擇捉島、國後島はこれが交換の對象でないことが明瞭であり、日本固有の領土なることを嚴然事實に示してあります。
從つてこの二島は、ロシヤから譲り受けたるものでもなく、いわんやカイロ宣言の、いわゆる暴力及び貧欲に依り日本が略取した領土でもありません。ただクリル群島を譲り受け、以後この二島を併せ日本國において千島列島と總稱するに至つたものであります。
擇捉島、國後島には二百年以前より日本民族が居住して漁業を經營しております。
すなわち明治維新を去ること百數十年前よりわが民族が居住し、異民族が居住した事實がなく、その傳統は實に歴然としておりまして、殊に北海道住民との間には血族の關係からいつても、經濟上の關係からいつても、深くかつ古い結びがあるのであります。
しかるに今これらの諸島は北海道本島とは完全に切り離されていて、その結果北海道北部の漁民は、かに、さけ、ます、たら等の最も重要な漁場であり、こんぶの採取場であるこれら諸島附近の水域を失つたのみならず、出漁する度に霧の深いこの水面でソ連軍占領下の諸島の水域に迷い入つて抑留されたりして、多大の不便を感じております。
さらに日本漁業の三分の一は北海道において生産し、北海道における漁業精算の三分の一は根室、千島方面にあるのでありますから、これを失えば日本人の蛋白質源は深刻に不足を生ずるのであります。
これらのことを考察するときは、まことに深憂にたえざるものがあります。
終戰以來右諸島はソ連軍の占領下にあり、北海道本島民とこれらの島民との一切の交通は、鐵のカーテンをもつて隔絶されており、この地域の同朋がいかなる程度の民主的な自由を與えられておるのか判明いたしませんが、北海道本島においては、すでに米占領軍の理解ある指導のもとに、民主政治の發展漸く顯著なるものがあり、かかる情勢下に北海道島民の自由な意思によりその代表として選ばれ、國會に席をおくわれわれとしましては、わが親愛なる郷土、郷民の一部が、かかる鐵のカーテンの後ろに切り離されておる事態につき、かねがね憂悶を禁じ得なかつた次第であります。
でありますから人類の福祉、繁榮と自由、平等を信條とせらるるところの各位にいきましては、十分にこれを審査せられ、この目的を達成するように特にお願いするのが、この請願の趣旨であります。何とぞ御採擇をお願い申し上げます。
第1回国会 参議院 外務委員会 第3号 昭和22年10月8日
○板谷順助君
千島列島の問題につきましては、講和條約の結ばれる以前に先立つて、從來の地理歴史をよく聯合國に了解を求める必要がある。
いわゆる聯合國の認定する諸島に加えて貰うということについての重大な關係のある問題だと私は思います。
只今外務當局からお話になりましたことと私共の調べたことと多少意見の相違があります。ということは、安政年間に南千島と申しますと擇捉、色丹、國後ですね。
それから中部千島、北千島、これは丁度青森から下關に至るまでの長い距離の間に散在している約二十六の島である。
ところが安政年間にその當時のロシアと南千島に屬する擇捉、色丹、國後、この三つの島と、それから根室國に屬しておる島の齒舞とその他の小さい島、これはロシアと通商條約を結んで、日本の領土であるということははつきり決まつている問題であります。
ところが中部千島、北千島に對しては、只今外務當局はその當時、つまりこれはロシア領であるということを確定したような意味のことをおつしやつたけれども、私はそのように聞いておりません。
これは殆ど無人島である。無人島であつて、日本の漁師が時時出掛ける。
私は北千島まで先年視察に参つたのでありますが、殆ど漁が終るというと、番人を殘す程度で皆引揚げてしまう。だからその當時は殆ど無人島でありました。
そうしてロシアの軍艦が來て、これは我々の領土と言う。
日本の漁師は明治以前から千島列島に對して、或いは樺太に對して出漁に出掛けている。そうして日本の方では樺太も或いは千島列島も自分の領土だとこう信じている。
ロシアの方では無人島で出掛けて行つてこれは我々の領土だと言う。
その爭いの結果、明治八年に榎本全權公使がロシアと交渉して樺太はロシヤ、千島全島は日本の領分にしようとはつきり決めた。
だから安政年間の條約がつまり擇捉——擇捉は割合に開けておる、人口の多い所であります。
私共ずつと全島を廻りましたが、その方面から得撫の方面はロシヤ領にその當時確定したということは私共その事實を聞いておりません。
これは重大な關係があります。でありますからして、こういう歴史、地理を先ずはつきり一つ明らかにして、今お話の安政年間における條約の文獻というものも外務省に行けばあるわけですか、或いは學者の想像によつてそういうお話をなさるのか。その點をちよつとお伺いしたいと思います。
第7回国会 参議院 外務委員会 第1号 昭和24年12月17日
ポツダム宣言の第八條には「カイロ宣言の條項は履行せらるべく、又日本国の主権は本州、北海道、九州、四国及び我らの決定する諸小島に局限せらるべし」とあります。
カイロ宣言には次のように規定されておることは、すでに御承知の通りであります。
即ち一九四三年十一月二十七日のカイロ宣言には「右連合国の目的は一九一四年の第一次世界戰争の開始以後において日本国が奪取し又は占領したる太平洋における一切の島嶼を日本国より剥奪すること並びに満州、台湾及び澎湖島のごとき日本国が中国人より盗取したる一切の地域を中華民国が回復することにあり、日本国は又暴力及び貪慾により日本国が略取したる他の一切の地域より駆逐せらるべし」、こういうことが規定されておるのであります。
そうして又ポツダム宣言の第八條の「我らの決定する諸小島に局限せらるべし」とあるのは、これはヤルタ秘密協定の線に沿うて、今後の日本の問題が決定されるということであると推定されるのであります。
それではヤルタの秘密協定は、一九四六年の二月十一日になされたのでありますが、その関係する点を申上げますと、「ソヴイエト連邦が左の條件により連合国に與して日本国に対する戰争に参加すべきことを協定せり、二、一九〇四年の日本国の背信的攻撃により侵害せられたるロシア国の旧権利は左のごとく回復せらるべし。(イ)樺太の南部及びこれに隣接する一切の島嶼はソヴイエト連邦に返還せらるべし。(ロ)大連商港の優先的利益はこれを擁護し、該港は国際化せられるべく、又ソヴイエト連邦の海軍基地として旅順港の租借権は回復せらるべし。」途中を略します。「三、千島列島は政府に引渡さるべし。」こういうふうに書かれておるのであります。
そこでこれらの宣言にあります盗取したとか、又は背信的攻撃によつて侵害したとか、或いは剥奪したとか述べられてあるのでありますが、これについて私の見解を述べたいのであります。
第六回国会十一月十四日の参議院本会議におきまして、天田勝正君が施政方針に対する質問演説の中で、日本の領土及び在外資産について述べておりますが、私はここで私の見解を申上げたいのであります。
即ち千島列島の中で擇捉島、国後島、色丹島は元来日本の領土であり、他の諸島はロシアとの間に紛争の結果、樺太との交換條件によつて日本の領土と決定したのであります。
第7回国会 衆議院 外務委員会 第2号 昭和25年2月1日
○佐々木(盛)委員
次にこのヤルタ協定に出ております千島、キューライル・アイランズというのは、一体国際慣例上どの島をさすのか。
ヤルタ協定によりますると、千島列島はソビエトに渡すということになつておるわけでありまするが、連合軍司令部から発せられました一九四六年一月二十九日付の、若干の外郭地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する総司令部覚書によりますると、日本の行政区域から分離される島が列記されておりまする中に、「キューライル・アイランズ(千島)」と書いて、それと同格に並べまして水晶島や勇流、それから秋勇流、志発、多楽等を含む歯舞群島、それから色丹というように、書いておるのでありまするから、われわれが簡單に考えまする千島列島というのと、ここでヤルタ協定に出ておりまするキューライル・アイランズというものとの間には、区別があるのではないかと考えるのであります。
その他文献などによりましても、千島列島はもと擇捉水道を境にして北千島と南千島にわかれておつて、安政元年の日露通商條約でも、あるいは明治八年の樺太千島交換條約でも、択捉、歯舞、色丹国後の諸島が、日本領として確認されておつたというような事実もあるわけでありまするが、この千島というものの地域を具体的にどういうふうに慣例上お考えになつておるか、承りたいと思います。
○島津政府委員
ただいま佐々木委員の御質問になりました千島の定義でございますが、ヤルタ協定のいわゆる千島という範囲は明確ではないのでございます。
この点を明確にする方法は目下のところないように考えます。
ただわれわれといたしましては、日本の附近の島嶼のどれが日本領土として残されるかということは、ポツダム宣言によつて連合国によつて決定されるものと考えております。
従つて千島の範囲も連合国によつて決定されるところに従わなければならないわけであります。
しかしながらただいまお話がございましたように、千島と申しましても南千島と北の方とは事情が違つておることは事実でございまして、その点の差異は存するわけでございます。
第7回国会 衆議院 外務委員会 第7号 昭和25年3月8日
○浦口委員
もちろん島嶼の帰属につきましては、講和條約に際しまして、連合軍が決定するところではございますが、しかし一応われわれ国民といたしましては、その島の法的にあるべき姿をはつきりとつかんでおくことが、たいへん必要だと考えるわけであります。
実は去る二月一日の外務委員会におきまして、島津政務局長は、ヤルタ協定の「千島」という呼称については不明確で、確定する方法がない、こういう発言をされておりますが、しかしそのあとで、しかし南千島と北千島の違いは実在する、こういうふうに御答弁になつております。
そういうことから申しましても、ヤルタ協定の問題はあとで申し上げることにいたしまして、まず千島列島という呼称は、一体どういう島々を千島と言うのかということを、一応お聞きしたいと思うのであります。
実は私、千島と最も近い根室に参りまして、いろいろと土地の事情を聞きましたときに、南千島と言われている、エトロフ、クナシリ、シコタン島、ハボマイ諸島等から引揚げて来た人の約一万六千人くらい、こういう人々は、すでに三代あるいは五代も前からこの島に住みついておりまして、この島々がポツダム宣言あるいはカイロ宣言、もちろんヤルタ協定を一応認めるとしましても、われわれはなぜ引揚げさせられたかということについて、非常に大きな疑問を持つております。
そういう点についても、この際これをはつきりしておくことがたいへん必要であろうと考えるわけであります。
一般に千島列島と申されておりますが、その中のハボマイ諸島とシコタン島、クナシリ島、エトロフ島等の島々は、非常に早くから北海道本島に属しておりまして、根室の国と、こう呼ばれております。
そしてエトロフ島以北のカムチヤツカ半島に至る十八の島々が、いわゆる千島の国と、こういうふうに呼ばれておるのであります。それでそのエトロフ島以南の、すなわちエトロフ島から南部の島々は、徳川幕府の初めから、日本人が住んでおりまして、三百有余年の長きにわたつて、父祖代々相次いで漁業に従事していたというのが、島の歴史上の明らかな事実であります。
そのことは一八五四年、安政元年に、帝政ロシヤと締結をいたしました神奈川條約、一名下田條約とも言われておりますが、これによつても明らかにされておるのであります。
すなわちその第二條に、
「今より後日本国とロシヤ国との境は、エトロフ島とウルツプ島との間にあるべし、エトロフ島全島は日本に属し、ウルツプ島全島とそれより北方クリル諸島はロシヤに属し、樺太島に至りては日本国とロシヤ国との間において境界を設けず、これまでのしきたり通りたるべし。」
こういう一條があるのであります。
これはわれわれの解釈によりますと、今まで不明確であつたロシヤと日本の境をはつきりしたと解釈できると思うのであります。
しかもその後いろいろ樺太の所有問題についてトラブルがありましたので、一八七五年の五月、明治八年にわが国の全権榎本武揚がロシヤにおもむき、千島・樺太交換條約というものを締結した、こういうことも当然御承知と思うのでありますが、その第二條には、
「クリル全島すなわちウルツプ島よりシユムシユ島に至る十八の島々は日本領土に属し、カムチヤツカ地方、ロパトカ岬とシユムシユ島との間なる海峡をもつて両国の境界とす。」
こういう一條があるのであります。
この二つの條約から照しまして、明らかにわれわれは、ここに千島列島という名で呼ばれる部分は、少くともエトロフ島とウルツプ島との間の千島水道と言われる以北が、いわゆる千島列島と呼ばれるものである。
その以南は先ほど申し上げましたように、いわゆる北海道本島に属する根室の国の一部である。
こういうふうに考えてしかるべきであると思うのでありますが、その点についてまず見解をお聞きしたいと思います。
○島津政府委員
ヤルタ協定の千島の意味でございますが、いわゆる南千島、北千島を含めたものを言つておると考えるのです。
ただ北海道と近接しておりますハボマイ、シコタンは島に含んでいないと考えます。
○浦口委員
そういたしますと、一八七五年、明治八年の千島、樺太交換條約と非常に矛盾して来るのでありますが、先ほど申し上げましたように、この第二條では、クリル全島、すなわちウルツプ島よりシユムシユ島に至る十八の島々、こういうふうに北千島というものに対してはつきり第二條で定義されておるのでありますが、その点はいかがですか。
○島津政府委員
北千島の定義がそのようになつておるものと考えます。
千島の定義につきましては、いろいろな経緯、歴史もあるわけでございますが、ただいま問題になつておりますヤルタ協定でいわゆる千島というものを先ほど私解釈したのでありますが……。
それで御了承を願います。
○浦口委員
私の承知するところでは、北千島、南千島というのはいわゆる下田條約と千島・樺太交換條約、この二つの條約によつてこういう俗称が出たと考えておりますので、公文書の上では南千島、北千島の差はないというふうに承知いたしておりますが、何かそういう公文書の上で明示されたものがあるならば、お知らせ願いたい。
○西村(熊)政府委員
それは一九四六年の一月二十九日付の総司令官の日本政府にあてたメモランダムでありますが、例の外郭地域を日本の行政上から分離するあの地域を明示された覚書であります。その第三項の中に「千島列島・ハボマイ諸島及びシコタン島」とございます。
いわゆる南千島と北千島とを合せて千島列島という観念で表示してあります。
○浦口委員
その條項も私は実は調べたのでありますが、島津條約局長のおつしやるように、ザ・クリル(千島)アイランズと、こうなつております。そうなりますと、先ほど申し上げました千島・樺太交換條約の第二條にはクリル全島、こういうことになつておりまして、それはいわゆる下田條約による千島水道以北であるということは、はつきりするのであります。
従つてその千島水道以南のエトロフ、クナシリ——シコタン、ハボマイはもちろんでありますが、これはは当然含まれない。こういう解釈が明らかになるのでありますが、その点いま一応御答弁願います。
○西村(熊)政府委員
御質問の趣旨がよくわかりませんので、もう一度お繰言返し願いたいと思います。私は政務局長とまつたく同意見ではございますが、……。
○浦口委員
そうしますと、もう一度話が元へ返るようになるのでありますが、実は下田條約では、今より後日本国とロシヤ国との境は、エトロフ島とウルツプ島との間にあるべしという一條があるわけです。
これによつて條約上初めて日本とロシアの境がきまつたわけです。
ですからエトロフ島以南、すなわちエトロフ、クナシリ以南の島は当然もう日本国としてはつきりきまつていた後において、千島・樺太交換條約によつて、クリル全島すなわちウルツプ島よりシユムシユ島——ウルツプ島というのはエトロフとの境でありますが、下田條約によつてすでに日本と決定されたその以北、いわゆるウルツプ島以北がクリル全島、こういう呼称で呼ばれているのであります。
そうでなければこの條約の文章が成立たないのであります。
○西村(熊)政府委員
その條約の條文を持ちませんので、確とした自信はございませんが、今繰返された文句によれば、例の明治八年の交換條約で言う意味は、いわゆる日露間の国境以外の部分である千島のすべての島という意味でございましよう。
ですから千島列島なるものが、その国境以北だけがいわゆる千島列島であつて、それ以南の南千島というものが千島列島でないという反対解釈は生れないかと思います。
○浦口委員
私はどうもそれがよくわからないのであります。
もう一度詳しく申し上げたいのですが、時間がありませんので、外務省の方で御研究願いたいと思います。この次にまた見解を発表していただきたいと思います。
それでは引続いてそういうことからいたしますと、実はその前にポツダム宣言及びその根拠たるカイロ宣言については、すなわち第一次世界戰争以後において日本が奪取し、または占領した一切の島嶼を剥奪すること、日本国はまた暴力及び貧欲により、日本国が略取しだる他の一切の地域より駆逐せらるべし。この條項は千島——一応それを南千島、北千島とわけてお話してもよろしいのですが、その両方ともこれには該当しない、そういうふうに考えるのでありますが、その点いかがでありますか。
○西村(熊)政府委員
もちろんそう考えます。
従つてヤルタ協定の文句も特にハンド・オーヴアー——引渡すという字を使つております。南樺太は返還すべしという用字が使つてあるにかかわらず、千島列島につきましてはハンド・オーヴアー——引渡すという違つた用語が使つてあります。
その辺を考慮した上での條文かと私どもは了解しております。
○浦口委員
そうなりますと、南と北の問題は別といたしまして、クナシリ、エトロフ、ハボマイ諸島、シコタン島から強制的に引揚げなければならなかつた、その間の理由はどういう理由によるか、その点お伺いします。
○西村(熊)政府委員
今度の戰争後におきまして、連合国の日本及びドイツに対します政策の一つといたしましては、日本人及びドイツ人は将来における国境の内部に全部移住させるという政策がとられたようであります。
従いましてドイツについても同じでございますが、日本につきましては、日本軍の占領地域ないしは日本の行政下の管轄の外に置かれました領域に在住しておりました邦人も、全部いわゆる強制引揚げということになつたわけでございまして、その一環として、千島における在留民も、本国へ帰らざるを得ないことになつたのでございます。
第8回国会 参議院 外務委員会 閉会後第1号 昭和25年9月4日
○團伊能君
今日のこの請願によりますと、三つの要求がございまして、
一つは、千島全島は御承知のごとく、安政元年の神奈川條約によりまして、択捉と得撫の間における線の南が日本領となり、北が帝政ロシアの領土となり、一応解決したのでございます。
その後、明治八年の榎本武揚氏が此特保府において結びました樺太千島交換條約によりまして、千島、クリル群島十八島は、得撫からカムチヤツカに至る島は全部日本領土となり、その代り日本が、日本の漁民その他が樺太において持つておりました利権の全部を捨てるという交換條約になつておりまして、いずれも戰鬪によつて勝ち取つた所ではないのでありまして、この理由によりまして、千島全島は、これはこのたびのカイロ宣言に従つて、日本に帰属すべきものであるということを主張いたしているのでございます。
次は、この得撫以北、安政條約によりまして日本領と認められた所、即ち交換條約以前において明瞭に日本で認められておりました択捉、国後から南だけは、やはり日本領として残して貰いたいというのであります。
第三は、更に小さく切りまして、若しも択捉、国後を千島列島といたしまするならば、地形の上から考えても、その島々の存在の位置から考えても、千島と考えられない歯舞群島だけは日本に残して欲しいというような考えの上に陳情いたされているのであります。
第9回国会 衆議院 外務委員会 第1号 昭和25年11月25日
○北澤委員
歯舞諸島はこれはもともと北海道の一部でありまして、千島ではないのであります。
それからまた南千島の択捉、国後、これは安政元年の日露の條約によりまして、日本の領土であるということがはつきりきまつておるものでありまして、徳川時代以来南千島というものは日本の領土に属しておつたのであります。
こういうものが現在ソ連の占領下に入つておるわけでありますが、これはいわゆるヤルタ協定において、千島をソ連に引渡すということが書いてある結果、そういふうになつたと思うのでありますが、このヤルタ協定にいわゆる千島というものは、一体南千島あるいは歯舞諸島までも含む意味であるかどうか、この点は非常に問題だと思うわけであります。
従いまして、今度の講和会議におきまして、もし日本の意見が聞かれるという場合におきましては、特に南千島あるいは歯舞諸島というものは、もともと日本のものだ、ヤルタ協定にいわゆる千島に入つておらないのだというような点をも、ひとつ明らかにしていただきたいと思うのであります。
この領土の問題は、日本人としましては非常に大きな問題でありますので、希望はいろいろあるのでありますが、しかしながら、連合国におきましても、いわゆる大西洋憲章と申しますか、英米の共同宣言、あるいはそれを確認した連合国の共同宣言というようなものによりましても、連合国はこの戰争によつて領土の拡大を欲しない、また人民の意思に反して領土の変更をしないというようなことをも声明せられておりますので、この領土の問題につきましては、もう少し日本側の希望というものを取入れるようにお願いしたいと思うのでありますが、政府はこういう点について一体どういう考えを持つておられるのでありますか。
○草葉政府委員
信託統治の問題については、期限をつける方向に強く希望するという御意見と承つたのでありますが、信託統治そのものは、御意見の通りに無期限なものではないというのが原則だと考えております。
またお述べになりました千島なり琉球なり奄美大島なり、その他の歯舞島なりの帰属問題につきましては、その最終決定は連合国の決定にかかることになつてはおりますが、政府といたしましては、実は日本とこれらの諸島との歴史的な関係、あるいは地理的関係はもちろんのこと、民族的な関係等につきましても、必要な資料を整えまして、連合国側の了解を得まする手段を盡しつつあるのでありまして、この点に対してはさよう御了承をお願い申し上げます。
第10回国会 衆議院 外務委員会 第2号 昭和26年1月31日
○北澤委員
南樺太及び千島列島の地位については、イギリス、ソビエト、中国、合衆国が将来決定することを日本は受諾する、條約が効力を生じました後一年以内にその決定がなかつた場合には、国際連合総会が決定することを日本が承諾する。
こういうふうになつておるのでありますが、われわれ日本国民といたしましては、この領土問題というものにつきましては、これは非常に重大な関心を持つておるわけであります。
朝鮮の独立を承諾するということにつきましては、われわれといたしましても異存はないのでありますが、琉球諸島、小笠原諸島、この日本の民族的に、あるいは政治的に日本に非常な関係のある琉球諸島及び小笠原諸島の領土権の帰属については、日本国民全体として、私は非常に重大な関心を持つておると思うのであります。
現にいわゆる大西洋憲章と申しまして、ルーズヴエルト大統領とチヤーチル首相が調印しました大西洋憲章、それからそれを確認しました連合国の共同宣言によりましても、連合国は戰争によつて領土の拡大を欲しない、領土の変更をする場合は、住民の意思に反してはやらぬというようなことを宣言しているわけであります。
それからまたカイロ宣言におきましても、日本が力をもつてとつた領土は日本から奪い取るということを書いてありますが、力によつてとつたものでないものを日本からとるというようなことは書いてないのであります。
そういう点から申しまして、私は琉球諸島、小笠原諸島というものは、決して日本が戰争の結果とつたものではなくて、もともと日本の領土であつたのでありますので、私は日本国民の全体は、この小笠原諸島、琉球諸島というものの領土権は、ぜひとも日本に帰属さしてもらいたいということを、心から強く念願しておると思うのであります。
この点につきましては、あるいは政府といたしましては、今のところはつきりした見解を述べ得ないと思うのでありますが、国民といたしましては、この琉球と小笠原諸島がぜひとも日本の領土権に帰属するようにしてもらいたい、もしどうしてもこの両諸島は国際連合の信託統治になることに日本が同意しなければならぬというのならば、その信託統治というものにつきましては、一定の期限をつけてもらつて、その期間が経過した場合においては自然に当然日本の領土になる、こういうふうに善処してもらいたいと思うのであります。
それから千島の問題でございますが、これも私から申し上げるまでもなく この前の国会で委員会でも申し述べたのでありますが、この千島も決して日本が暴力によつて外国から奪い取つたものではないのであります。
御承知のように安政元年の日本とロシヤとの條約によつて、いわゆる南千島、擇捉、国後等はもともと日本の領土である。北千島はこれはもともと日本のものでありません。
これは安政元年の條約によつてロシヤの領土であつたのでありますが、それがその後千島、樺太交換條約による平和的交換によつて、北千島は日本のものになつたのでありまして、決してこれは日本が力をもつて外国から奪い取つたものではないのであります。
のみならず現在ソ連が占拠いたしております歯舞諸島、この北海道の一部であるところの歯舞諸島というものは、千島ではないと思うのであります。
従いまして、われわれはここに書いてある千島というものは、ほんとうから申しますと、これは北千島であつて、実は南千島なり歯舞諸島は入らぬ、こういうような解釈を持つておるのでありますけれども、いずれにしましても、私どもは千島の問題も、これは歴史的、民族的に日本と非常な関係があり、しかもこれは日本が武力をもつてとつたのではないのであります。
これもぜひとも日本の領土に帰属してもらいたい、こういう希望を持つております。
その他の台湾、樺太、澎湖島の問題は、これはアメリカ側の提案の通りで私はけつこうだと思うのであります。
この点について、もし政府として御見解があるならば伺いたいと思いますが、政府として現在それを発表するのは非常に機微な関係があるというのならば、今私が申し上げましたような日本国民全体の希望を、ひとつよく取入れて交渉に当つてもらいたい、こう思うのであります。
第10回国会 参議院 外務委員会 第2号 昭和26年2月5日
第一には、歴史的、国際的見地から考えて見たいのであります。
即ち歯舞諸島は根室国花咲半島の東北に連なる島々で、延長線上僅か三浬を隔てたるところの水昌島以下歯舞村に属して、地理的にも行政的にも千島列島とは全然別個のもので、北海道本土の一部をなしているものであります。
次に、南部千島に属するところの色丹島、国後島、択捉島は全く日本固有の島で、三百年の昔から日本人の手によつて開発経営され、行政上には普通町村制が施かれ、曾つて異民族の居住した事実はないのであります。
故に安政元年の日露和親條約に基くところの国境線も擇捉水道に置かれ、択捉以南の島々は我が国の領土であることは何人も認めるところであります。
更に択捉以北の島々は、明治八年樺太クリル交換條約において、多年邦人の苦心経営して来た樺太を割愛する代償として、全く平和裡に我が国に讓渡されたもので、爾来漁業開発を継続して来たのであります。
第二の点について申上げます。ポツダム宣言には、「日本国の主権は本州、北海道、九州及四国並に吾等の決定する諸小島に局限せらるべし」と明言され、且つ「カイロ宣言の條項は履行せらるべく」と附加されておりまして、そのカイロ宣言には、同盟国は自国のため何ら利得を欲求するものにあらず、又領土拡張の念を有するものにあらず、同盟国の目的は日本国より一九一四年の第一次世界戰争の開始以後において、日本国が奪取し、又は占領した一切の島嶼を剥奪すること、日本国は又暴力及び貪欲により略取したる他の地域より駆逐せらるべしとあります。
私たちはポツダム宣言は忠実に履行せねばなりません。
敗戰日本の国民は、この事実を明確に認識しておらなければなりません。
併しながらポツダム宣言にも違反せず、又日本国固有の附属諸小島である歴史的事実及びこれを裏書するところの安政條約並びに明治條約によりましても、これらの諸島は、私たちの祖先が平和のうちに子孫のために苦心経営して現在に至つていることが明らかでありまして、決して祖先が盗取又は略取したものではなく、いわんや戰争によつて他国より割讓を受けたものでもないことは余りにも明らかな事実であります。
○曾祢益君
本日おいでになつた皆様の非常に熱烈な御希望並びに御意見は篤と拝聽しておりますし、我々も何とか列国に対しまして、日本の正しい要求を一つ聞いて頂きたいという気持に燃えておるわけなんです。
そこで先ほど御指摘にたつたように、この問題につきましては、いろいろな見地から検討しなければならん。
それで先ず只今もお話がありました、團さんのお話になつていましたお話に、これはクリルの範囲の問題であるとも言えるし、又逆に言えば北海道の範囲の問題であるとも言える。
それからヤルタ協定に我我が拘束されていないということは、これはもうその通りであります。
我々はポツダム宣言に拘束され、又ポツダム宣言に援用されたカイロ宣言は受諾しなければならない。
そこでいろいろのお話がありましたが、私はこの連合国、即ち四大国が北海道以外の島についてきめるということについては、これはもうポツダム宣言によつて受諾しているのだから、これは文句は言えないのでありますが、ただきめられる四大国としては、先ほどもカイロ宣言を御引用になつてお話しになつたのと、又更に他の條約或いは外交文書から言うならば、大西洋憲章或いは連合国協同宣言の立派な方針からして、連合国は自分らが領土の拡張を求めず、又領土の変更は住民の自由意思の選択によるというこの立派な精神によつて、この北方並びに南方の周辺の領土をきめてもらいたいということを、当然に私は要請すべきではないかと思うのであります。
その見地から言いまするならば、今のお話の中にありまました、私をして言わしむるならば、北海道は勿論であるが、千島も南と北と中とを分けないで、全千島、更にいま一つ、南樺太についてすら、私は同じ原則が適用さるべきではないかと思うのであります。
併し南樺太については、本日要請としてのお話がないのでありまするから、これは暫らくおきまして、話を元へ戻しまして、千島、クリル、いろいろ問題はありますが、現在のソヴイエト軍隊が占領しておらない北海道以外の問題については、これはこれから先きは質問になりまするが、お聞きしたいのですが、考え方がいろいろあると思うのです。
先ず第一に歯舞諸島と、それからそれ以外の国後、択捉、色丹、それから得撫から北と、そういうふうに考えるのか、それとも歯舞、色丹は最も狭い意味で、いわゆる北海道の意味であるのか、それから国後択捉がいわゆる南千島として、いわゆる別のものになり、それから得撫よりか東北に位するいわゆる中千島というふうに三つに考えるのか正しいのか、それを終戰に対するソヴイエト軍隊の占拠並びに日本軍隊の降服のやり方等に鑑みまして、一つもう少しそこら辺の考えの分け方を御説明願いたいと思うのであります。
○参考人(岸田利雄君)
只今の御質問で大体三段階に考えております。
その一つは、歯舞のあの附属島嶼は水晶島、勇留、秋勇利、志発、多楽、この五つの島になつております。
これは歯舞村の木村が北海道のあの納沙布の半島にある、その管轄でございます。
ですから、これはもう先ほど申上げました通り、私はあれは千島じやない、北海道である。
それからその歯舞諸島のあれは、曾てはあれはやはり村ではなかつたのでありますが、明治十八年かに色丹という島をあれは一村に訂正したのでございます。
これは地勢的に見ましても延長であるから、当然その上体はこれは歯舞諸島である。これは第一に当然過ぎるほど当然だと、こういうふうに考えておるのであります。
○曾祢益君
色丹島も含まれるわけですか。歯舞諸島に……。
○参考人(岸田利雄君)
歯舞諸島という中には、延長線上ですから……。
それから後に言いましたところの、先ほど問題になりましたクリル、樺太の交換問題その他については、はつきり出ておりますのは、得撫と、これより後は得撫と択捉の水道を以て境とするということがはつきりしておりますので、その国後島、択捉島、色丹島を後に南千島と称したのであります。
これは行政上には何ら南千島という区画はありませんが、通称北千島とか、或いは南千島という名前を言つているだけであります。
そういうような関係からいたしまして、この南千島におけるところの色丹の存在というものは、ちよつとそこに両股になるのでありますが、これは地勢から言つても、名指しから言いましても、歯舞諸島の連続と考え、属しております色丹島、南千島の国後島と択捉島でありますが、これは先ほど来由しました通り、過去の歴史におきまして、それがはつきりとらえられております。
第10回国会 参議院 外務委員会 第5号 昭和26年2月15日
○團伊能君
次に千島でございますけれども、ヤルタ会談において、千島という言葉もクリルという言葉で出ております。
このクリルは明治八年の交換條約のときに、十八島の名が一々記載してございますので、クリル十八島というあの條約にあるものが、我々の認識いたしますクリルと考えます。
つまりウルツプ島の以北からカムチヤツカに至る列島でございますが、併しそれから南の擇捉島、國後島、色丹島等は、これをクリルという認識の中に含めるのは非常に無理で、これはむしろ南千島と歯舞群島は、連合国が、我々が帰属を定めると言われましたが、日本の周辺島嶼として考えて頂きたいと思われまするし、
第10回国会 衆議院 水産委員会 第20号 昭和26年3月14日
○島倉参考人
私船主といたしまして意見を申し上げたいと思います。
現在のマツカーサー・ラインでは、ただいま船頭がるる申し上げましたごとく、またここへ来ない船頭なども、種々このマッカーサー・ラインではきゆうくつで、操業、航海等において常に拿捕事件を繰返し、いろいろと上の方々におせわになつておるということは、恐縮でもあり、私どもいつも痛恨事と感じておるのであります。
さてどうしていただいたらよかろうかということでございますが、第一案といたしましては、色丹島以南の歯舞諸島、これの日本帰属、従つてマツカーサー・ラインを色丹の北の方に線を引いていただくということが、私どもとしては、とりあえず一番希望いたしておるのであります。
つまり国後島と、それから色丹以南の歯舞諸島の中間の海にマツカーサー・ラインを拡張していただくということを、現在の私どもとしましては、第一案として非常に熱望しておるのであります。
第一案といたしましては、国後と擇捉島であります。
国俊島と擇捉島は、すでに私が説明申し上げるまでもなく、皆様方は御存じかと思いますが、南千島であります。
南千島は日本の貧慾によつて得た領土ではない。
従つてこれはいろいろと御意見も、これから講和会議を控えて出るかと存じますが、南千島の日本の帰属と相まちまして、この拿捕事件の解消ができると考えるのであります。
それは御承知の通り、知床半島と国後とは海が入り込んでおります。従つて根室から網走に航海する船、網走から根室に航海するところの船、これは漁船に限らず、運搬船に限らず、常に事故を起しやすい場所であります。
将来の日本の平和ということを考えまするときに、この狭い海を航海する船、あるいは漁業する船は、今後とも拿捕事件が絶えないのではなかろうかと私は想像いたすのであります。
そこででき得るならば、擇捉島と国後島を日本の帰属にしていただく。
こうするならば、将来ともソ連と日本との拿捕の摩擦その他の摩擦が解消されるのではないかと考えるのであります。
地図でごらんになればよくわかりますが、三哩と申しましても、御承知の通り根室は四月の上旬から九月の下旬まで、激しい濃霧に襲われるのであります。
いかに達者な航海者であつても、濃霧により、また潮の変調によつて船の針路を誤ることがしばしばあるのであります。これはまつたくの実情であります。
なおソ連の監視船のごときは、濃霧のためにマツカーサー・ラインに入つて来ることがしばしばございます。
従いまして日本の漁船も、運搬船も、ソ連の監親船も、自分の船の位置がわからないということが常に繰返されておる状態であります。
かくのごとき状況から行きまして、将来は擇捉と国後、これを日本の帰属にお願いしたい、これは将来の希望であります。
とりあえずの希望といたしましては、歯舞諸島は千島と離し、色丹の以北にマツカーサー・ラインの拡張を願う。
その次には擇捉、国後を日本に帰属していただく。
これは今後の北海道とそれからソ連との摩擦を避け、平和を愛好する今後の日本としての正しい姿ではなかろうかと私は考えております。従いましてかようにお願いしたいと存じます。
第10回国会 衆議院 本会議 第29号 昭和26年3月31日
○冨永格五郎君
一八五五年、安政元年に神奈川條約が締結されて、択捉島以南は日本に属することが明瞭にされて以来、何らの問題もなかつたのであります。
次に行政しからば、歯舞諸島は花咲半島に本村を有する歯舞村の離島であり、色丹島だけが明治十八年便宜上千島に編入されて、国後、択捉島とともに北海道庁根室支庁管轄区域に属したのであります。
歯舞諸島返還懇請に関する決議(1951.3.31)
歯舞諸島返還懇請に関する決議
昭和 26 年 3 月 31 日
衆議院本会議可決
現在ソ連邦の占領下にある歯舞諸島は、地理的には花咲半島の延長であり、古来より根室の一部として日本人が居住していたのである。又行政区域からも歯舞諸島は根室国であり、明らかに北海道本土の一部をなしてわが国固有の領土であり、天然的、歴史的環境をもつものである。
しかるに終戰当時これらの島に駐とんせる日本軍隊が千島と同一の指揮系統にあって降伏した事情等のため、北海道と分離せられ、ソ連邦に引き渡されたのである。しかもこれらの諸島は、わが国水産業の上からは国民栄養の重要要素である水産物生産地としてまことに重要なる地域である。
さらにこれらの海域はしばしば濃霧が発生し、船舶の運航は困難であり、なお且つ、彼我の領土が指呼の間にある現在においては領海侵犯あるいはだ捕等の事件がひん発する状態である。このように国際的紛争がじゃっ起することは、平和国家として再発足せるわが国将来に暗影を投ずることとなり憂慮される次第である。
よって連合国各国の深い御理解、御同情により、講和條約締結に当っては、歯舞諸島はわが国に返還されるよう懇請する。
右決議する。
第11回国会 衆議院 本会議 第3号 昭和26年8月18日
最近の国際條約等を見ましても、またはわれわれは後において知つたのでありますが、あるいはヤルタ協定は秘密協定といわれておりますが、そうした秘密協定におきましても、今回のいわゆる講和條約の草案におきましても、その原文には、いわゆる千島列島というものにつきましては、クリール・アイランドという名称を用いられているのであります。
しかして、明治八年のいわゆる千島樺太交換條約におきましても、いわゆるクリール・アイランドの名称をもつて、南千島の択捉または国後諸島は、完全に千島列島からは分離されているのでございます。
こうした解釈から見ましても、今回の第二條にあてはまります千島列島というその通俗的な考え方から考えまして、われわれといたしましては、国際條約に現われたそのものを基本とするのがこれすなわち当然であろうと私は考えます。
そうした点から考えまして、この択捉並びに国後諸島は、今回の領土條約に基きましても当然日本の領土であると私たちは考えているのであります。
政府におきましては、今日まで、領土問題につきましても、連合国との間に幾たびか交渉せられたことで、ございましよう。
今この国後、択捉両島があいまいのうちにソビエト領に属するというようなことがありまするならば、先ほど奄美大島の帰属の問題に対して言われましたことく、島民はもちろん、あるいは北海道四百数十万の道民並びに日本国民全体の希望から考えましてもまことに遺憾といわなければなりません。
ことにこの択捉、国後島の水産あるいは漁業等に関する地位におきましても、北海道がかつて世界三大漁獲地の一といわれたのもーーすなわちこれら南千島諸島におけるところの漁獲の数字を見ましても、これらの島を失うということは、現在日本の置かれている経済状態から見ても重大な問題といわなければなりません。
政府におかれましては、もしこの解釈に疑念がありーー日本に属するところのものであろうと私たちは考えますが、講和條約にあたりましては、全権団はもちろんのこと、政府におきまして万全の努力を盡して、これら日本領土をはつきりと帰属されるよう特段の努力を懇請し、質問といたすものでございます。
○政府委員(草葉隆圓君)
クリール・アイランド、すなわち千島、この範囲につきまして、ただいまの御質問にお答えを申し上げたいと存じます。
クリール・アイルランド、千島の範囲につきましては、日本との平和條約の中におきましては何ら定義されておりませず、従つてその範囲につきまして明瞭ならざる点もあると存じます。
従来日本政府におきましては、その歴史的、文化的、地理的、経済的関係につきまして連合国に対して詳細資料を提出し、かつ日本国民の輿論を申し述べて参つたのでありまするが、今後におきましても引続き熱心にこの点を申し述べて国民の熱情を伝えたいと存じておる次第でございます。
1951年(昭和26年)9月8日 サンフランシスコ平和条約締結
1951年9月4日より8日まで、サンフランシスコにおいて52カ国の代表参加のもと、平和会議が開催されました。
平和会議では、9月5日より7日まで8回にわたり全体会議が行われました。
全体会議では、米英両国全権による条約案の説明に続き、各国全権が意見陳述を行いました。
7日夜の第8回全体会議では吉田全権が受諾演説を行い、8日午前に平和条約署名式が行われました。
8日午後には、サンフランシスコ米陸軍第六司令部にて日米安全保障条約の調印が行われました。
第12回国会 衆議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第4号 昭和26年10月19日
○松本(瀧)委員
それでは次の質問に移りたいのでありまするが、ただ一点領土の問題に関してお尋ねしたいのであります。
ダレス全権はサンフランシスコの本会議の冒頭で、條約草案を説明いたしました際に、歯舞群島は千島列島に入らず、これについて争いがあれば第二十二條の規定によつて、国際司法裁判に付託することを強く主張されました。
また総理も、色丹島も歯舞群島もともに北海道の一部を構成するものであるということを、サンフランシスコの会議でこれまた強く主張されました。その通りであります。
しかしソ連はすでに一九四七年二月二十五日の連邦憲法改正で、またこれに即応いたしまして、ロシヤ・ソビエト連邦共和国は一九四八年三月十三日の同共和国憲法改正で、千島列島と南樺太はおのおのその領整憂し、従来のハロフスク県と合せてサハリン州を構成したのであります。
また歯舞群島をその中に吸攻されております。
グロムイコ・ソ連全権は、サンフランシスコ会議終了日の九月八日の新聞記者団との会見の際に、その質問に答え、歯舞群島はソ連国の領土であることを、従来の通りその立場を堅持しておるのであります。
昨日北澤委員の質問に対しましてその、点にお答えがなかつたので、重ねてお尋ねしたいのでありまするが、ソ連邦が講和條約に署名しなかつたために、條約上の紛争を国際司法裁判所に付託して解決するという第二十二條の規定は、当然適用されないことになるわけであります。
そこでこの歯舞群島、色丹島の領土問題を、今後いかなる方法によつて解決するのか、政府の御所見をお伺いしたいのであります。
○吉田国務大臣
両島は御承知の通り、たまたま両島に日本の軍隊がおつたという事実のために、ソビエト軍が侵入して来たのであります。
そこで日本の両島に対する主権については常に争つており、また米国政府も了解して日本政府の主張を支持しておる次第であります。
今後どうするか、これは結局国際紛議の一つの問題として残るでありましよう。
政府としてはあくまでもその問題の解決に努力するつもりでありますが、今日はどうするかということになりますと、実際上の関係であります。
相手方のソビエトがどう出るか。あくまでもその主張を堅持する。日本も同じく自己の主張を堅持する、こうなると衝突するよりしかたがありませんが、なるべく円満な方法でもつてこの問題を解決して行つて、日本国民に満足を与えるように努力したいと考えておる次第であります。
中略
○高倉委員
本会議また昨日の委員会を通じまして、いろいろと條約問題につきまして質問がなされておりますので、われわれの言わんと欲することも大方言い盡されているような次第であります。
実は二十四日に大体質問をする考えでおりましたし、本日は総理もお疲れのことと思いますから、頭を冷静にされてからお聞きした方がむしろいいかと思いますので、簡潔に二、三御質問申し上げたいと思います。
まず領土の問題でありますが、過般のサンフランシスコの講和條約の第二條の(C)項によりますると、日本国は千島列島の主権の放棄を認められたのである。
しかしその千島列島というものはきわめて漠然としておる。
北緯二五・九度以南のいわゆる南西諸島の地域の條文におきましては、詳細に区分されておるのでありまするが、千島列島は大ざつぱではつきりしていないのであります。
そこで講和條約の原文を検討する必要があります。
條約の原文にはクリル・アイランド、いわゆるクリル群島と明記されておるように思いますが、このクリル・アイランドとは一体どこをさすのか、これを一応お聞きしたいと思います。
○吉田国務大臣
千島列島の件につきましては、外務省としては終戰以来研究いたして、日本の見解は米国政府に早くすでに申入れてあります。これは後に政府委員をしてお答えをいたさせますが、その範囲については多分米国政府としては日本政府の主張を入れて、いわゆる千島列島なるものの範囲もきめておろうと思います。
しさいのことは政府委員から答弁いたさせます。
○西村(熊)政府委員
條約にある千島列島の範囲については、北千島と南千島の両者を含むと考えております。
しかし南千島と北千島は、歴史的に見てまつたくその立場が違うことは、すでに全権がサンフランシスコ会議の演説において明らかにされた通りでございます。
あの見解を日本政府としてもまた今後とも堅持して行く方針であるということは、たびたびこの国会において総理から御答弁があつた通りであります。
なお歯舞と色丹島が千島に含まれないことは、アメリカ外務当局も明言されました。
しかしながらその点を決定するには、結局国際司法裁判所に提訴する方法しかあるまいという見解を述べられた次第であります。
しかしあの見解を述べられたときはいまだ調印前でございましたので、むろんソ連も調印する場合のことを考えて説明されたと思います。
今日はソ連が署名しておりませんので、第二十二條によつてへーグの司法裁判所に提訴する方途は、実際上ない次第になつております。
○高倉委員
このクリル群島と千島列島を同じように考えておられるような今のお話でありますが、これは明活八年の樺太・クリル交換條約によつて決定されたものであつて、その交換條約によりますと、第一條に、横太全島はロシヤ領土として、ラペルーズ海峡をもつて両国の境界とする。
第二條には、クリル群島、すなわちウルツプ島から占守島に至る十八の島は日本領土に属す。カムチヤツカ地方、ラパツカ岬と占守島との聞なる海峡をもつて両国の境とする。
以下省略しますが、こういうふうになつておる。
この條約は全世界に認められた国際的の公文書でありますので、外務当局がこのクリル群島というものと、千島列島というものの翻訳をどういうふうに考えておられるか、もう少し詳しく御説明を願いたいと思います。
○西村(熊)政府委員
平和條約は一九五一年九月に調印いたされたものであります。
従つてこの條約にいう千島がいずれの地域をさすかという判定は、現在に立つて判定すべきだと考えます。
従つて先刻申し上げましたように、この條約に千島とあるのは、北千島及び南千島を含む意味であると解釈しております。
但上両地域について歴史的に全然違つた事態にあるという政府の考え方は将来もかえませんということを御答弁申し上げた次第であります。
○高倉委員
どうも見解が違いますのでやむを得ないと思いますが、過般の講和会議においてダレス全権が、歯舞、色丹諸島は千島列島でない、従つてこれが帰属は、今日の場合国際司法裁判所に提訴する道が開かれておると演説されておるのであります。
吉田全権はそのとき、千島列島に対してもう少しつつ込んだところの―歯舞と色丹は絶対に日本の領土であるとは言つておられますけれども、国際司法裁判所に提訴してやるというまでの強い御意思が発表されていなかつたようでありまするが、この問題に対しまして、ただいまあるいは今後も、どういうようなお考えを持つておられるかということについてお伺いします。
○吉田国務大臣
この問題は、日本政府と総司令部の間にしばしば文書往復を重ねて来ておるので、従つて米国政府としても日本政府の主張は明らかであると考えますから、サンフランシスコにおいてはあまりくどくど言わなかつたのであります。
しかし問題の性質は、米国政府はよく了承しておると思ひます。
従つてまたダレス氏の演説でも特にこの千島の両島について主張があつたものと思います。
今後どうするかは、しばらく事態の経過を見ておもむろに考えたいと思います。
これは米国との関係もありますから、この関係を調節しながら処置をいたす考えでおります。
第12回国会 衆議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第5号 昭和26年10月20日
カイロ宣言であるとか、またはポツダム宣言であるとかいうようなことは、直接私どもには関係はありませんけれども、私どもは無條件に降伏をいたしたのでありますから、間接的にはわれわれはこの関係があるものと考えておるのであります。
そこでこのカイロ宣言を見ますと、第一に連合各国は自国のため何らの利得をも欲求するものでない、また領土拡張の何らの念をも有するものでないと明記されてあります。
そうしますと、今度の條約というものにおいては、連合国は領土を拡張しようという念はいささかもなかつたんだ、こういうことを鉄則として考えられる要があると思いますが、御当局はどういうふうにお考えになつておりますかをお尋ねしたいのであります。
○草葉政府委員
お話の通りに領土的な、何と申しますか、領土拡張というような意味の考え方は、私どもも毛頭なしということで進んで参る。こういうわけであります。
○小川原委員
次にお尋ねいたしたいことは—政府の所見は明らかになりました。
そうしますると、この條約は一九四三年にできまして、そうしてその後一九四五年八月八日にソ連が宣言をいたしまして、この宣言に加入いたしたのでありますから、ソ連もまたこの領土の欲求はないものと考えますが、政府の御所見はいかがでありましようか。
○草葉政府委員
政府も同様に考えております。
○小川原委員
そこで根本は、これが鉄則となりまして、連合国は戦後どういうことがあろうと、日本の領土を縮めようとは考えておらなかつたということが明確になつて参つたのであります。
しからば、私の問わんとするところのものは何であるかと申しますと、第二條の
(a)項の朝鮮の独立、これはだれが考えましてもいたし方がない。日本がこれを放棄することは当然のことだろうと思います。
(b)項におきましても、台湾と澎湖島、これもいたし方がない、これは常識的に考えられます。
C項はあとにいたしまして、
二條の(d)におきましても、またその通りであります。
また二條の(e)におきましても、これまたやむを得ない。
それから二條の(f)にいたしましても、これまたいたし方がない、こういうことになります。
しかし三條と、それから二條のC項におきましては、非常にここに問題が残つて来るのであります。
第一に問題になりますことは、南樺太付属の島、これはちよつと異論があろうと思いますから、これは別といたしましても、われわれが暴力と貧欲とによつてこの千島というものを得たのではない。
日本の長い間の人類学上から見ましても、歴史の上から見ましても、地誌学の上から見ましても、これは当然日本のものであるということが明記されてあるのであります。
と申しますのは、辞書を引きますと、クリル・アイランドというものは千島であると書いてあります。
なるほど地形上から考えれば、そう見ることは当然かもしれませんが、これを歴史的にながめましたならば、私どもはそういうふうに考えぬのであります。
第一に千島の三十二島というものは、あの島の名前は御承知の通りアイヌ語であります。当然われわれの先住民が占領しておつたということが明らかである。
またこれもソ連の方から見ますると、茂世路貝塚のようなものがまつたく出ておらぬのであります。
すると、われわれの先住のアイヌ人が北へ北へと進んで、遂にカムチヤツカまで行つておるのであります。
私どもも先年この島々を踏査いたしました。われわれは十分にこれは日本のものであるということを立証づけるだけのものを持つておるのであります。
それにどうしてこの千島を手離さなければならぬかということが、北海道人とし、日本人といたしまして、非常にうやむやな感じがあるのでありますきのうもどなたかおつしやられた通り、わかるようであつてわからぬというのは、そういう点であろうと思うのであります。
ちよつと読んでみるとわかるようだが、一々これをつかまえて考えてみますと、どうもわからなくなつて来る。こういうことであります。
今度の條約にはクリル・アイランド、こうなつておるのであります。
これは申し上げることが至当だと思いますので申し上げるのでありますが、私どもの知る範囲におきまして、いな世界の知る範囲におきまして、クリル・アイランドというものは得撫島から占守島に至る十八島であります。
こうなりますと、この島が編入されたんだ、こう思うのでありますけれども、現実においてはそうでなく、千島全島が放棄されたということに相なつたのであります。
まことに私ども遺憾を感じておるのでありますが、御当局はこれに対しましていかようなお感じを持つていらつしやるか。これはお感じでよろしいのであります。ひとつお話を願いたいと思います。
○草葉政府委員
お話のように、クリル・アイランドというものがどこからどこまでだという問題と、それからこれは決して日本が奪取あるいは搾取あるいは侵略によつてとつたというものでなく、当然従来からいろいろな條約関係において、何も論争なしに日本領土と認められたところであるという点が、御質問の御趣旨であると存じます。
歴史上から考えまして、下田條約、あるいは千島・樺太交換條約等におきましても、十分両方とも了解の上に、はつきりと領土が決定いたしましたのが、お話の千島である次第であります。
ただクリル・アイランドと申しますうちには、こまかくわけますと、北千島、中千島、南千島ということになつて、北千島と中千島がクリル・アイランドで、南千島は全然別であるという解釈は—昨日でありましたか、條約局長から申し上げましたように、現在は千島と申しますと、一帯を千島として総称されておると、一応解釈いたしておる次第であります。
○小川原委員
よくわかりました。私どもは南千島とは申し上げません。
これは択捉とかあるいは国後とか申し上げて、一帯に千島という言葉は使つておらぬのであります。
一部にそういう人があつたとすれば、これまたやむを得ませんけれども、そういうわけになつておりますので、これを実証的に申しますれば、ただいま次官のおつしやられた通りに、明治八年の樺太との交換のときに、択捉、国後と南樺太とを交換いたしたのであります。
これはクリル・アイランドとまつたく別ものであるという観念を持つているのであります。
ただいまのお話でよく了承はいたしておりますが、そういう区別をしておくことがいい、こう考えるのであります。
しかし、もう放棄してしまつたのだからいかぬということであるならやむを得ないけれども、何かの機会にこれをはつきりするということは、放棄はいたしましても、われわれ日本人としては考えておくべきだと思うのでありますが、政府はどういうふうにお考えになつておりますか、御意見を聞きたいのであります。
○草葉政府委員
お話にありまする国後あるいは択捉という島々は、従来から日本領でないということで、どこかの国との間に係争があつたという領土では全然ないのであります。
古往今来と申し上げるほど昔から、疑点のなかつた点であります。
安政年間におきます一八五四年の下田條約におきましても、全然これは問題にならなかつたところであります。
従つて従来ともはつきりした日本領土であるということは、日本はもちろん、諸外国いずれの国もこれに対して異論はなかつたのであります。
○小川原委員
そこで第三條をひとつ引用いたしたいと思うのであります。
第三條は、琉球であるとか西南諸島であるとか、あるいは小笠原島というものは、信託統治にする、こういうことが書かれてあるのでありまして、この島も日本の領土であるということがはつきりしておる、どこからも奪取をしたのではない歴史的には一部分考えなければならぬ点もあります。ありますけれども、そうくどくどしくは申しませんが、この島も信託統治にいたして行くのに、千島のみは信託統治にならないのだというのは、何かの理由があるのかどうか、ここに北海道の人間、日本の人間といたしまして、非常な感じを持つのでありますが、この点をお話を願いたいと思います。
○草葉政府委員
ただいま申し上げましたように、これらのいわゆる南千島というのは、全然従来から問題がなかつたのでありまするから、従つて一八五四年のいわゆる下田條約におきましても、何ら問題がない。
その後樺太・千島の交換條約で、一八七五年に至りまして、はつきり千島が日本領ということをよく相談の上納得する、こういうことになりましたので、実はサンフランシスコ会議におきまして、吉田総理からもこの点ははつきり申しておる。
千島は全然日本がいわゆる侵略的に領土としたものではない、従来からの領土であつたし、また話合いの上にその区域の不明な点をはつきりいたしたというのでございますから、千島という点につきましては、問題はそういう意味においては、お話のように、どこの国もはつきりしてくれる点だと存じます。
しかしこの太平洋戦争の進行中、いろいろ連合国の中における話合い等があつた点にかんがみまして、これが今回の條約において、日本が主権を放棄するという結論に相なつて参つた次第でございます。
しかしさような情勢になりましても、これらの千島の歴史、千島が日本領であつたという点については、日本は何もそこには領土的にこれを侵略してとつたのでもなければ何でもない、十分世界の国々が、日本領であるということを了承しているはずであるということは、こまかく吉田総理から訴えて演説をいたした次第であります。
第12回国会 衆議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第8号 昭和26年10月24日
○佐竹(晴)委員
だんだん御説明を聞いておると、まるきり日本が何か征服されて向うの言う通り、ただ盲従的に従わなければならぬ今度の條約はあたかもそんな條約であるかのごとき印象を受ける。
当会議においてかくのごとき印象を受けながら論議を進めて行かなければならぬということに、私どもははなはだしく遺憾を感じます。
千島、樺太の放棄、北緯二十九度以南の諸島の信託統治はポツダム宣言八項によつてやれるといたしましても、同項に基いたものといたしまするならば、同項の條件を守らなければならぬことは当然であります。
今ポツダム宣言八項をごらん願えばわかる。
冒頭に何と書いてあるか、「「カイロ」宣言ノ條項ハ履行セラルベク」と書いてある。
カイロ宣言によれば、同盟国は自由国のためには何らの利得を求めず、また領土横張の念も有しないと書いてある。
いささかも棄合国側において国の主権の及ぶ範囲を横張することを求めようといたしておりませんことは明らかであります。
それなら、カイロ宣言では何を求めておるか。
それはその項の次にこう書いてある。
同盟国の目的は一九一四年の第一次戦争の開始以後に日本が奪取し、または占領した太平洋におけるすべての島を日本から剥奪すること、並びに満州、台湾及び膨湖島のような日本国が清国人から窃取したすべての地域を中華民国に返還するということにある。
また日本国は暴力及び強欲により日本が略取したすべての地域から駆逐せらるべしというのであります。
ところが千島のうち、いわゆる南千島でありますところの択捉、国後等は徳川初代のころより日本人が領土し、いまだかつて他国人によつて支配せられたことのないことは申し上げるまでもありません。
歯舞、色丹は北海道の一部でありますこともここで論じ盡されました。
南樺太は明治八年の交換條約によつて千島と交換をし、一九〇四年ポーツマス條約で再びわが国の領有となつたものです。
いずれも一九一四年第一次世界戦争開始後日本が奪取したものでも、また窃取したものでもございません。いわんや暴力及び強欲によつて略取したものでは断じてありません。
北緯二十九度以南の琉球、小笠原諸島もまた歴史的に見ても、民族的に見ても、日本の固有の領土であつて、カイロ宣言にいわれる奪取したものでも、窃取したものでもなければ、暴力によつて略取したものでもありません。
従つて「「カイロ」宣言ノ條項ハ履行セラルベク」という以上、この條項に何ら関係のない千島、樺太の主権を放棄し、北緯二十九度以南の諸島を信託統治に委すべき何らの理由もないことは言をまちません。
はたしてしかりといたしますならば、今回の平和條約二條(C)及び第三條のごときは、右カイロ宣言を蹂躪したものというべく……。
○佐竹(晴)委員
日本としては、その條項の履行を求める権利があるものと言わなければならないと存じます。
もつともポツダム宣言、前段の「「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク」というのと、後段の一「又日本国ノ主権ハ」云々「吾等ノ決定スル諸小島二局限セラルベシ」というこの文字は、おのおの独立的存在を有しておつて、後段には前段のポツダム宣言の條項はかかつていないと言うのでありましよう。
それは文理解釈といたしましてそう言うのでありましよう。
しかし前段において「「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク」と規定をいたしており、そのカイロ宣言においては、はつきり領土の横張はしないと誓約をし、返還を求むるものは一九一四年以来の日本に奪取せられたもの、暴力によつて略取せられた島々に限ると明示しているのでありますから、日本はこの條件をのんで、この條件に従つて、これを受諾したのであります。
よつて、その後段における「吾等ノ決定スル諸小島」とは、この條件にそむいてかつてほうだいにきめ得るものとは考えられません。
カイロ宣言というわくを承諾し、カイロ宣言の條件に従つて降伏をいたしました以上、米英の決定はこのカイロ宣言の條件の範囲においてすべきは当然である。
決定すべき諸小島もいわゆるカイロ宣言の定むる條件に従つて、その範囲内において決定すべきことは向うさんも條件として提示し、われわれもこれを承認した以上当然である。
今回の平和條約第二條(C)及び第三條はこの範囲を逸脱するものと考えますが、どうでありましようか。
○草葉政府委員
御質問の点につきましては、ごもつもな点も多々あると思います。
また今までも再三これは各委員から十分論議されました点でございまして、それで先ほど條約局長からも申し上げましたように、ポツダム宣言を受諾して、そのポツダム宣言によりまして、四つの島に局限される。
その結果において男らしく、今度の平和條約における第二條の領土という点について受諾し、これに対しまして総理は特にサンフランシスコ会議におきまして、決して千島、樺太は略奪したものでも何でもない、お話の通りに昔から、ずつと以前から、日本の歴史上からも地理的関係からも、経済的関係からも、日本領土であつた。
何ら国際條約の上にも問題が起らなかつた点をじゆんじゆんと申しておられるのであります。
十分この点は佐竹委員も御承知だと存じます。
従いまして、今回の平和條約におきまする條項に対しましては、日本の立場の心持は総理から十分伝えながら、この條約に署名した次第でございます。
○佐竹(晴)委員
お答えでは何らの根拠も示されませんでした。
要するに私はポツダム宣言第八項の解釈を求めているのです、ポツダム宣言は一つの條件として提示された、その條件をわれわれは承認したのであります。
従つてその範囲内において向うさんも義務がある、われわれもまた義務があると同時に権利がある。
ところがその條項に違反しているのじやないかというのです。
違反しておらないという論拠をあげて御説明あつて初めて答弁になります。答弁をなしておりません。
しかし私は時間がございませんので、論議を繰返すことを省略いたしまして、さらに進めて参ります。
今回の條約第二條(C)、第三條のごとき規定が許されるということになれば、それ自体カイロ宣言違反ではないかと私は考えます。
すなわちカイロ宣言では、奪つたものは返せというのです。
戦争の結果譲り受けたものを返せというのでありますが、それなら米英等連合国が、今回の戦争の結果、日本本来の領土であつた島々まで権利を放棄させ、連合国の権力内におき、あるいは信託統治にするということは、逆に日本に力を加えて、その頭上を奪うものではないでありましようか。
カイロ宣言でもつて、日本が力を加えて奪つたものはいけないから返せという口の下で、今度は逆に向うさんが、日本へ力を加えて、日本の固有の領土を奪おうとするがごときは、まつたくそれ自体カイロ宣言違反ではないでありましようか。
かくのごとく、われわれに対し奪つたものは返せと言つておいて、今度は逆にわれわれに力を加えて奪うがごときは、国際正義の観念に照して許され得べきことでありましようか、承りたいと思います。
○草葉政府委員
ポツダム宣言にいたしましても、カイロ宣言にいたしましても、これはいわゆる関係国の宣言でございます。
ことにポツダム宣言は、その宣言を信じて日本は無條件降伏をいたしたのであります。
従いまして、そういう立場から日本が権利があると強く主張するという意味ではなしに、このポツダム宣言を信じた上においての行動をして参つたのであります。
○佐竹(晴)委員
ポツダム宣言が宣言であることについては、これは間違いありません。
しかしこちらが受諾をしましたならば、相互の間にその受諾関係において條約同様の効力を生ずることも、これは疑いありません。
両者を拘束するものであるか拘束しないものであるかということについて、この席で論議を盡した。
しかして政府も両者を拘束すると言つておる。
向うさんも義務がある、こちらも義務がある、だから総理大臣は忠実にその義務を履行した。
よつて向うさんも、日本が民主化されたから講和を結ばなければならぬとおつしやつた。
問題の修損はこの「宣言の二つです。
一部かつてにいいところのみをとつて他を捨てるわけには参りません。
不利益なところも受入れなければなりません。
してみれば、ただいまのごとく力を加えて戰争の結果とつたものは、たとい講和條約の結果とつたものでも、これを返せとおつしやる。
それなのに今度向うさんがわれわれに力を加えてとつて行こうとする。
これが国際正義の観念に照して許されるかというのであります。
これに対し今度は條約できめるからかまわない、日本が受諾したんじやないかというかもしれない。
それならば前の台湾だつて、樺太だつて、ちやんと両者の間に対等の関係において承諾の上にものをきめて取引をしたのである。
われわれのやつたことはいけない、向うさんなら何をやつてもいいという、そういつた理念は、この委員会においては通りません。
しかし私は論議を避けましてさらに進めて参ります。
総理大臣は本会議の演説において、トルーマン大統領は歓迎の辞で、この平和條約は過去を振り返るものではなく、将来を望むものであると述べたと言い、またダレス代表は復讐の平和ではなく、正義の平和であると述べた旨を明らかにされました。
他面ダレス氏が、今回の講和は和解と信頼の講和であるとおつしやつたことは周知の事実であります。
ところが、ここにまことに遺憾に考えまもことは、ただいま申し上げました通り、今回の條約の基礎となつておりますポツダム宣言八項には、カイロ宣言が履行せらるべくとあります。
カイロ宣言は、申すまでもなく戦争終末期における深刻なる敵対的うず巻の中に、日本に武力を示して無條件降伏を求めたそれであります。
カイロ宣言は日本に対する憎悪感を極度に現わしまして、日本を仮借なく制圧出しなければならぬということを宣言したものでございます。
この原則をもつて講和の内容とするということは、過去を振り返るものであり、また復讐の平和とも解せられるおそれがあります。
和解と併願の講和ということに曇りを覚えざるを得ないのであります。
ことにカイロ宣言には、すでに述べた通り、台湾、澎湖島のごとき、日本国が中国人より窃取したる一切の地域を中華民国が回復するにありといつておる。
また日本国は、暴力及び強欲によつて日本国が略取いたしました地域から駆逐せらるべしとああります。
日本を窃盗の強盗のといつておられますが、しかし台湾は一八九五年下関條約によつて、また樺太は一九〇四年ポーツマス條約で、しかもこのときは米国の大統領のルーズベルトの仲裁で割譲を受けたのであつて、もし独立国家間の任意の條約でとりきめたものまで、これを無視するということになつたならば、今日国際法上尊重されているところの條約というものは、一片のほごとなりまして、世界秩序は保たれません。
のみならず、その條約によつて合法的に譲り受けたものまでも、強盗だの窃取だのということになつたならば、今日の世界の大国で、強窃盗でない国がはたしていくらあるでありましようか。
ある大国のごときは、百年間に百回の戦争をやつて、領土が百倍になつたというておる。
その国の人々が、この宣言を基調とする條約を結んで、和解と信頼の條約であるといつても、それは筋が通りません。
私は当初、おそらくこういつたような宣言とか何とかいつたようなものは一切抜きにし、ほんとうに今度は一切の過去のそういつたものにこだわらず、新しい條約が結ばれたものと考えておりました。
それなら、自由に総理がどうきめましようとも、世界の客観情勢がこうだというならば、われわれも納得いたします。
ところが本会議においても、あるいは当席においても、ポツダム宣言八項によつてきめた、こうだと打出されておりますので、しからば八項に何と書いてあるか、カイロ宣言は履行せらるべくと書いてある。
カイロ宣言には何と書いてあるか、日本を強窃盗呼ばわりをしておるということになつてまいります。
私は国民感情を刺戦するような、こういつたことをそのままにしておいて、ほんとうに日米立ち上つて共同の防衛をしようというのでは、遺憾な点が出て来るのではないかということを憂えます。
こういう点については、少くとも誤解を解き、日本国家及び国民の面目を失墜しないような適当な方法が講ぜらるべきものであると考えます。
講和会議の途中において、総理はいかなる態度に出られたでありましようか。
また将来において何かこれを適当に処理するお考えがございましようか。
たとえば別途、あるいはこの講和條約発効の日において、なるほどポツダム宣言八項に書いてあるところのカイロ宣言の中には、こういう文句をうたつておるけれども、今日においては決してそういつたようなことは考えていない、あるいは條約は尊重すべきもので窃盗だの強盗だのということを引用する意味ではないということをうたつて、こういつた感情を刺激しない適当な方法を講じて、友好善隣の事実を示さぬ限り、ポツダム宣言八項だ、カイロ宣言だといつてわれわれに押しかぶせて来るのでは、国民は承服することができないと思います。
この点に対しまして、総理大臣といたしましては適当な方策をお持ちでございましようか、承りたいと存じます。
○草葉政府委員
御質問のように、サンフランシスコ会議におきまして、トルーマン大統領の演説もありました。
またトルーマン大統領は、もう真珠湾攻撃などというものは、それは忘れることはできないけれども、そういう過去のことは言うまいじやないか、そうして新しい日本の建設のために全力を盡してお互いに進むようにしよう、こういう意味であつたと私は解釈いたしておるのであります。
従いまして今回の平和條約は、これはダレスさんも申しましたように、すべての国が百パーセント満足の行く條約には行かないかもしれないが、しかし戦争の跡始末としては、おそらくこれ以上には考えられないものではないかという点におきまして、旧殻から脱しまして、新しい日本の踏出しとして、私どもはこの平和條約を喜んで迎えた次第でございます。
第12回国会 衆議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第9号 昭和26年10月25日
千島列島に至りましては、條約第二條により列島の主権放棄が明記されておりますが、千島列島という言葉がはなはだ漠然としております、條約の原文によれば、択捉、国後、色丹、歯舞諸島は、日本の主権下に置かれることが当然と考えられるのであります。
第12回国会 参議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第3号 昭和26年10月25日
第二番目は、択捉と国後は、これは国際慣行上クリル諸島ではない、違う。
故にこれ又歯舞諸島がやがて国際司法裁判所等によつてこれの解決を見る場合においては、やはり択捉と国後を国際裁判にかけまして、そうしてこの所属というものをはつきりして頂きたい。
ただ漠として千島列島と言つてこれを入れてしまうのは余りにもみじめなように考えるのであります。
更にこの得撫以北の占守までの島、いわゆるクリル諸島の放棄後の帰属、これをはつきりするように、一日も早くはつきりとして、更に国連の信託統治になるならばなつて止むを得ませんが、その後においてもやがてこれは今までの歴史或いは連合国のあの領土不可侵の大鉄則から見ましても、これは日本に管理せしめるように呼びかけて頂きたい。
これは我々北海道の四百三十万道民が日本全国に呼びかけて、過去六年間一生懸命叫んで來たのであります。
先般サンフランシスコにおきまして吉田全権が千島問題に対してもいろいろ申されました。
承服しがたいところであるというよるな言葉もあつたようであります。
ただこれは仕方ないんだ、或いは一方においてはあのヤルタ協定というもので認めたのだけれども、事実において何ら侵略或いは貪欲によつて取つたのでないところのこういうところまでも日本から剥奪するということは、非常に情ないと思うのであります。
国民のこの熾烈なるところの要望を国会において取上げて下さいまして、将來のために政府に対してこの要望を決議して頂いて、やがて将來国際間において千島の問題がはつきりする、その歴史的な国際的な事情がはつきりすることによつて解決を見るときには、やはり国際連合から、信託統治から日本に還るような機運を作るところの点を十分に反映せしめて置いて頂きたいと、こういうようなお願いでございます。
この問題は前から数回お願いしておるのでありまするが、今回この最後の、講和條約に対するところの批准国会でありまするので、特にこの点をお願いいたしまして失礼いたします。(拍手)どうも有難うございました。
1951年11月18日 サンフランシスコ平和条約 批准
日本側は11月18日に平和条約を批准し、28日に批准書を米国に寄託しました。
特に日本側は、米国議会における批准審議の動向を注視しましたが、上院本会議での可決後、トルーマン米国大統領は1952年4月15日に批准書に署名しました。
そして4月28日、米国の批准書寄託が完了することによって発効条件が満たされ、同日、平和条約は日米安全保障条約とともに発効しました。