1956年9月7日、米国政府は、日ソ交渉に対する米国覚書の中で「択捉、国後両島は(北海道の一部たる歯舞群島及び色丹島とともに)常に固有の日本領土の一部をなしてきたものであり、かつ、正当に日本国の主権下にあるものとして認められなければならないものであるとの結論に達した。」と日本の立場を支持しました。
https://www8.cao.go.jp/hoppo/shiryou/pdf/gaikou14.pdf
日ソ交渉に対する米国覚書 (1956年9月7日)
最近のロンドンにおけるダレス国務長官との会談に際し、重光外相からなされた要請に応じて、国務省は今回の日ソ平和条約交渉中に提起された諸問題につき、とくにサンフランシスコ平和条約の署名国としての米国の利害関係に照らして、検討を計った。国務省はこの検討に基づいて次のとおり意見を開陳するものである。
領土問題に関しては、さきに日本政府に通報したとおり、米国はいわゆるヤルタ協定なるものは、単にその当事国の当時の首脳者が共通の目標を陳述した文書に過ぎないものと認め、その当事国によるなんらの最終的決定をなすものでなく、また領土移転のいかなる法律的効果を持つものではないと認めるものである。
サンフランシスコ平和条約-この条約はソ連邦が署名を拒否したから同国に対してはなんらの権利を付与するものではないが-は、日本によって放棄された領土の主権帰属を決定しておらず、この問題は、サンフランシスコ会議で米国代表が述べたとおり、同条約とは別個の国際的解決手段に付せられるべきものとして残されている。
いずれにしても日本は、同条約で放棄した領土に対する主権を他に引き渡す権利を持っていないのである。
このような性質のいかなる行為がなされたとしても、それは、米国の見解によれば、サンフランシスコ条約の署名国を拘束しうるものではなく、また同条約署名国は、かかる行為に対してはおそらく同条約によって与えられた一切の権利を留保するものと推測される。
米国は、歴史上の事実を注意深く検討した結果、択捉、国後両島は(北海道の一部たる歯舞群島及び色丹島とともに)常に固有の日本領土の一部をなしてきたものであり、かつ、正当に日本国の主権下にあるものとして認められなければならないものであるとの結論に到達した。
米国は、このことにソ連邦が同意するならば、それは極東における緊張の緩和に積極的に寄与することになるであろうと考えるものである。
1956年9月7日 ワシントン国務省